「凄(すご)いのが一人いる。でも、その男、態度が少し乱暴で当落すれすれ。ちょっと見にきてよ」高峰秀子が黒沢明監督を呼びとめた◆東宝のニューフェース試験の当日、昭和二十一年のこと。その男が三船敏郎だった。審査委員会の投票では落第した。が、彼を見た黒沢監督が落第に待ったをかけて、救われた◆当時は労組が強く、俳優の選考にまで顔を出し、事はすべて投票で決していた。俳優の選考に専門家と門外漢の一票が同等とはおかしい◆「宝石の鑑定を宝石商がやっても八百屋がやっても同じだというに等しい」と黒沢監督は待ったをかけた。審査委は騒然、「反民主主義」と叫ぶ者もいた◆結局、審査委員長の山本嘉次郎監督が素質と将来性に責任を持つと発言、彼は危ういところで合格した。以上のいきさつは黒沢監督の自伝「蝦蟇(がま)の油」に詳しい◆三船敏郎さんの冥福(めいふく)を祈り、その命運を思う。あの待ったが黒沢・三船の数々の名作「羅生門」「七人の侍」「用心棒」……を生んだ。何事も投票で決めればいいというものではない。
(12月25日11:44)
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