八木弘和

レークプラシッド・ジャンプ70メートル級銀
北海道出身

「親子鷹」でつかんだ銀

 札幌以来8年ぶりとなるメダルを日本にもたらしたのは、やはり「お家芸」のジャンプだった。

 八木が頭角を現したのは、小樽北照高時代。全国高校大会、国体少年組で優勝し、一気にレークプラシッドの星として名前が浮上した。 卒業後、一時ジャンプの強豪校・明大への進学を勧められたが、「どうせ1年の半分は練習で北海道にいる」と地元で就職。

 ここで八木を鍛えたのが、父・博だった。インスブルック大会後、ジャンプの強化コーチに就任、秋元正博ら70、80年代を代表する名ジャンパーを育てる一方で、 五輪メダルの夢を息子に託した。高校卒業からわずか2年。五輪直前のW杯第6戦で優勝するなど、短期間で実力を伸ばした20歳の若武者は、 父の願い通り、世界の頂点に近づいた。


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