カタリナ・ビット(東独=当時)サラエボ:女子フィギュアスケートシングル金カルガリー:女子フィギュアスケートシングル金 |
純粋な肉体の躍動、勝利の快感を伝えるスポーツだが、時にはそれを超えたメッセージを届ける事もできる。それを証明したのがビットだった。 「社会主義が生んだもっとも美しい顔」とさえ言われた美ぼうと、自由演技での抜群の表現力で2大会を連続制覇。世界選手権でも三度優勝、 欧州選手権6連覇など、80年代中期を代表する氷上の華だった。 しかし、ビットの姿を世界中の人に強く印象づけたのは、アマ復帰して臨んだリレハンメル大会だったかもしれない。 カルガリー五輪後、プロに転向。アメリカのスケート・レビュー興行会社、「ホリデイ・オン・アイス」と出演契約を結んだが、 その契約額が約5億2千万円という高額で話題を呼んだ。それがリレハンメルでのアマ復帰に際しては、「売名行為」「時代が違う」などと批判を浴びる。 しかし、ビットが表現したかったのは、内戦に苦しむサラエボへのメッセージだった。サラエボは、ビットが初の五輪金メダルを獲得した思い出の場所だが、 リレハンメル五輪当時は、悲惨な内戦の現状が伝えられていた。 自由演技でビットが選んだ曲は、「花はどこへ行った」。マレーネ・ディートリヒの反戦歌に乗せた演技は、ジャンプこそ難易度が低かったものの、 切々と訴える演技が、会場に感動を呼んだ。 ヨハンオラフ・コスが提唱した「オリンピック・エイド」など、リレハンメル五輪はさながら「サラエボ応援大会」の様相を呈したが、 ビットの残したメッセージがすべてを代弁していた。「私はメダルが欲しいのではなく、自分を証明するために来たのです。自分に関心が集まることで、サラエボのことを考えてくれる人が増えれば」 |