弱冠19歳でアルベールビルに出場。若手のエースとして、団体で4位に食い込む躍進に貢献、 「日の丸飛行隊」復活のきっかけをつかんだ。リレハンメルでは安定したジャンプで、 レークプラシッドの八木弘和以来14年ぶりにメダルを獲得する原動力となった。
W杯では5勝を挙げ、日本人としては最多勝利記録を誇っている。