ジャンプが得意で、91年世界選手権での団体3位に貢献。「日本複合強し」と世界に印象付けた。 明大を出て社会人となってから、安定した力をつけ、大舞台で実力をいかんなく発揮した。
リレハンメルでは旗手を務めたが、けがもあり競技では補欠に回った。同五輪終了後に現役を引退。スキー大会の企画・ 運営などの仕事をしながら、子供たちの指導を続けている。