笠谷幸生、金野昭次、青地清二

札幌・ジャンプ70メートル級金、銀、銅

奇跡の金銀銅独占


 冬季五輪初の金メダル。それだけでも日本にとっては偉業達成だったが、銀、銅独占という最高の結果に、日本中が「日の丸飛行隊」を称えるエールで溢れた。

 メダル独占を支えたのは、チーム内の強いライバル心だった。代表メンバーは7人、しかし本番に臨めるのは4人だけだ。 強化合宿でも、風呂に行くふりをしては体育館に忍び込んで、他の選手に知られないように練習を繰り返す。エースの笠谷でさえも、目の色が変わっていた。 最終的に本番で飛ぶ4人が決まったのは大会前々日−−。

 もちろん、初の国内開催でのメダル獲得に向けての綿密な強化訓練も効を奏した。年間100日合宿を3年半に渡って繰り返したが、 この練習環境も当時「世界一」。さらに金メダルを獲得した笠谷には、北大理学部出身の長兄・侃弘、五輪チームコーチでもあった次兄・昌生という強い味方が、 科学的なジャンプ理論を植え付けた。

 札幌から既に四半世紀が過ぎた。その間、一時は色褪せた「ジャンプ日本」の栄光は、リレハンメル・団体ラージヒルでの銀メダル獲得などで、 次第にその光を取り戻しつつある。長野で、「日の丸飛行隊」のドラマは再現されるのだろうか。


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