重圧はねのけ つかんだ「銅」![]() 「メダル確実」の期待をかけられて臨んだサラエボでは、仕上がりが早すぎたこともあり、 本番でペースを崩して500、1000とも惨敗。日本人はプレッシャーに弱いという意味を込めて、 「黒岩シンドローム」という言葉さえ生んだ。 その後、照準をカルガリーに絞り、たった1人での海外遠征を続け、世界の一流選手たちと競いながら、 技術的、精神的に一回り大きくなってカルガリーのリンクに戻ってきた。 カルガリーでは、くしくも4年前と同じ「4組アウトコース」のスタート。レースを見守るだれもが不吉な因縁を感じていたが、 黒岩は「魔のカーブ」といわれた第2カーブでややペースを落としたものの、最高の大舞台で自己ベスト、 五輪新記録(当時)となる36秒77でゴールイン、念願のメダルを獲得した。 大会後に引退を表明、現在は母校の専修大学で後輩たちの指導にあたっている。 |