日本人初のメダリスト![]() 父の六合雄(くにお)さん(故人)の厳しい指導を受け、戦前から「天才少年」と騒がれた。戦後初めて日本が参加したオスロ五輪の回転で11位。 コルティナダンペッツォに出場した時は、米・ダートマス大に留学中だったが、この時は優勝候補の一人ともみなされるほど実力をつけていた。 この時の回転のコースは、五輪史上最長の600メートル、旗門数も1回目が78、2回目が92で、 五輪回転競技の歴史の中でも最難関と評されていた。このコースに果敢に挑み、当時の大スター、 トニー・ザイラー(オーストリア)に次ぐ2位を確保、 日本人選手として初めて冬季五輪の表彰台に上がった。 現役引退後はJOC、IOCの要職を務め、選手たちをバックアップしている。1987―91年に続いて、現在もIOC理事の職にあり、 長野五輪の成功に向けて、尽力している。 |