被写体によりかかりすぎることが時々嫌になる。 写真的なるものを捜し求めている自分に疲れたとき、 私は写真機をもって街をさまよい歩く。 モノに意味など求めなくともよいのだ。 光を反射したモノたちは銀粒子によって独自に姿を変え、 別の世界を形成してゆくことは間違いが無い。 私と写真機はその橋渡しをするだけだ TEXT:赤城耕一