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1995-10-30
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9KB
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263 lines
【一葉】
ナナミちゃん(神田 かおり)
『朝の風』
1995年11月某日、いつものように家を出て職場へと向かう。
ドアに鍵をかけ、階段を重い足どりで降りていく。
目の前には幼稚園があり、子供達が元気にママとの朝のお別れをして
皆楽しそうに中へ入っていく。
こんな光景を見る度に私には思い出したくないせつない気持ちがこ
み上げてとどまらない。
「私の母もあんな風にしていてくれていたら・・・。」
少し寒さを覚えた心に、まるでコートでも着せるかのように、服の襟
を整えてまた歩き出す私がいる。
川の堤防沿いをまっすぐに東へいったら一両編成の電車が私を迎え
てくれる。
電車はただ終点の駅をめざして走るだけだけど、私に少しの間休息を
約束してくれる。
「すくなくとも昔の私には無かった光景だから・・・。」
『プロローグ』
1969年6月20日、ある若い夫婦の下に長女が誕生した。
それが私である。
結構慎ましやかな生活ではあったけれど、多分6つまでは幸せな時を
過ごしたと思う。
やがて母が自分を捨てて、新しい人生を歩き始めるまでは・・・。
そして幼い私を抱きかかえ、「お前とふたりだけなら故郷へ帰る
のに」と父が号泣していたのを今でも覚えている。
その時私は、母の父への仕打ちが一番許せなかった。
母がいなくなったことへのさみしさよりも、父が辛い事への気持
ちが強かったのだ。
味噌汁1つ、ご飯さえも炊けない私が一人になったとき、自ら
悟ったのは「何かをしなくては」という必要性だけ。
それが父の為にも一番すべきことだとさとったのだ。
その頃の私には弟が三人いて、弟はまだ母親の顔さえ覚えていない
ほどだった。
私は、よく小学校にも行かずに弟の世話をしていたものだった。
行けなかったのだから、行かなかったという表現は正しくないか
もしれない。
その事で同級生には付き合いが悪いと、ひどく言われたものである。
そうした周囲からの影響は、私の心を灰色の絵の具で塗り潰していっ
た。
私が小学校3年生から4年生に進学の時である。
意外にも、小学校義務教育といえども落第というものが存在するらし
い。
当時、担任の先生と校長先生が、かなりな配慮で「あなたは進級でき
るのよ。」とわざわざ説明していたのも、今にして思えば滑稽である。
「そうか・・。私は本当なら進級出来ないくらいの出席だったんだ
な。」と放課後の教室の片隅で涙した記憶もまだ思い出せるほど新し
い気がしてならない。
この頃の私の心は水色の絵の具だったんだろうか。
やけにさみしさとは違う悲しみがこみあげる。
『風のたより』
時が経って、本当にたくさんの時が流れて。
家庭を築く立場になってそれでもあの頃の母を許す事が出来ないでい
るまま、いずれは親として愛情をそそぐのだろうか・・。
やがて私はある人と家庭を築いていた。
「ぷるるる・・・。」電話が鳴る。
無言の電話である。
多分いつもの弟からの電話だろう。
私が嫁ぐ数年前に、三人の弟のうち二人が家出をしたきり戻ってこな
い。
それでも数カ月に一度、「ねぇちゃん、、、」と一言言って切れる
電話があるのだが、空気がそれに近い。
これは身内の勘だが間違いないだろう。
だが待て、それにしては長すぎる。
気のせいだと受話器をおきかけた瞬間に「ねぇちゃん・・。」とい
うなつかしい声。
「かあさんが、、、。」
瞬時に氷に似た感情が頭の中をかけめぐった。
忘れようとしていた母の記憶がよみがえる。
私、、、私はこんなにも執念深い人間だったんだろうか。
自分でもたとえようのない感情が駆け足でよみがえってきた。
気がつくと電話はすでに途絶えていた。
『落ち葉色の風』
コンコン・・・カン。
空き缶が寒い風に動かされてゆく・・・。
「そろそろ秋なんだなぁ。」
あいも変わらずいつもの川の土手ぞいの駅から自宅へと歩いていた。
「ここには、山も木もない。私が育った緑の環境がない。」
でも、夕焼けは高速道路によく映えてきれいである。
幼稚園の角をまがり、自宅まであと数十メートルというところで、
かすかに見覚えのある中年の女性が立っていた。
ところどころ昔の面影を残しているその女性は、私の母に違いなか
った。
「ちなみ、、、」
私は、あまりに突然の出来事に気が動転してどう反応していいかも
分からず、駆け足でその女性を振り切って家へ飛び込んでしまった。
そういえば、以前に弟が「かあさんが、、」と言っていた事があった
のを思い出した。
どうやって調べたのかは知らないが、母である。
何度も何度も窓から見ては、動揺する心を押さえようと努力してみ
たが落ちつけない。いや、落ちつけないのが当たり前である。
何時間経ったんだろうか。
コトン・・・。
郵便受けに何か入った様子だった。
中を見ると、「また来ます」というメモが一枚。
私はもう、どうしてか分からないが、ただ涙がこぼれて仕方なかった。
『ざわめきの中で』
それから母は、毎週月曜と水曜に待っている様になった。
私はといえば、追い返すわけでなく、口を効くわけでなく、ただ無言
で逃げ回る日々を続けていた。
ある日、私はこのことを高校時代の先輩に話したのだ。
「ふぅーーん。でもね、ちなみ。どうして今ごろそんなに待ってると
思う?あたしは、何かすごく大事な事があるからだと思うな。ただ逢
いたいからじゃなくて・・。」
・・・・。考えもしなかった。
今まで何も・・。ただ、あわてていただけで。
だからといって、やっぱり話す機会もつぶれていくままに、11月
も終わりを告げようとしていた。
人間というもの、一月も経てば少し興奮はとどまってくるものであ
る。
にもかかわらず私が母と話さなかったのは、口を開いた瞬間に母を罵
倒して傷つけてしまいそうで恐かったから。
きっと素直にも伝えられない。
きっと心にも無いことまで言ってしまう。
そして11月の最後の水曜日に母は言った。
「ちなみ、今日で最後だからおねがい。話をさせて。」
私はまるで血を吐いているかのような母の苦しい表情を目の当たりに
して、とても振り切る事は出来なかった。
『若葉の頃に・・・』
「どこでもいいなら・・・。」と、母を連れて車で出かけた。
行き先などあるはずがない。
やみくもに走り出してしまったのだ。
どうしてその時に母を家に入れてあげることが出来なかったんだろ
う。
しばし無言のまま、気がついたら私が母に捨てられた自宅の前まで戻
っていた。
過去の事を問いただしたかったわけじゃなかったと思う。きっと、
もう一度ここへ戻ってほしかったという私の気持ちがそのまま出たの
だろう。
『紅葉の香り』
とりあえず車を降りて、母を喫茶店へと引き入れた。
迷っていても時間は過ぎてしまう。私は「それで?」と冷たい切り
出し方をしてしまった。
「ちなみ、元気だった?」
「そんなことを言いに来たの?」
心では元気だったよと伝えてあげたかったのに、言葉にできない。
「ちなみ、結婚して大事にしてもらってるの?」
「だから、そんなことをいわなきゃならないの?」
いちいち心とはうらはらな態度を取ってしまう。
「わたしね、、、」と母がようやく切りだした。
私はとりあえず母の話に聞き入る事にして紅茶をすすった。
私自身も落ちつかなければならなかったというのもあったと思う。
「私ね、今年で47歳になってねぇ。初めて産んだちなみの事を忘れ
た事などなかったんだよ。だけど、、、」母は、ゆっくりと重い口調
で話しを続けた。
「だけど、私も若かったし、あの頃はまだ母である前に女性でいたか
ったんだよ。ちなみや、お父さんが許してくれないのは分かってるけ
ど、どうしても逢いたくて。」
「一度でいいから、大人になったちなみと話だけでもしたかったんだ。
」そういうと、母は黙ってしまった。そして、、、。
「何も聞いてはくれないんだね」と寂しそうに言った。
私は聞かなかったわけじゃない。
今までの事もこれからの事も両手に足りないほどの話をしたかったの
だけれども、言葉にならなかったのだ。
そして母がいなくなったのもやはりこんな秋の日だった事など思い
出していた。
閑静な住宅街の並木の落ち葉が二人をやさしく包んで風に舞っていた。
『焚火』
私と母は、それ以降なんにも言葉を交わさないままに、やがてお店
は閉店の時刻。
「送っていくよ。どこがいい?」
やっと話した言葉がそれである。
「じゃあ、××病院まで。」
あれ?と思った。
「あ、、か、勘違いしないでね。私はそこで寝泊まりしながら仕事し
てるんだから。」
私は母の姿をあらためて見て思った。
茶系のわりと地味なセーターにスカート。くたびれたヒールにまとめ
た髪がなんとも質素な感じがして、とてもそんな大きな病院に勤めて
いる様子には見えない。
でもとりあえず、何もきかずに母を車から降ろし、見送ったのだった。
「じゃあ、、、、ね。」
運転席から母の後ろ姿をみているうちに、なんだかものすごく胸騒
ぎがして、、、。
車をUターンさせて病院の駐車場へ車を停め、案内から病院のあち
こちを母を捜してまわった。しかし母の姿はどこにもなかった。
「とりあえず、帰ろうかな。」とつぶやいて自宅へ戻った。
『そして今』
数日後、久しぶりの休日である。
「さぁ、どこに行こうかな。」
ドライブ好きの私は車にキーを差しながら休日の予定を立てようと
したが、いつものように行き先が決まらない。
「・・・・。やっぱり行ってみようかな。」
自分に正直にならなければいけない。
自分の心のわだかまりを取らなければいけない。
なんかそんな気持ちでいたから、やはり母のいるはずの病院へ行って
みようと思った。
一通り調べてみたけど、そういう人は働いていないらしい。
「じゃあ、患者リストから名前を捜して下さい。」と調べてもらっ
たが、やはり母の名前らしいものは無かったのだ。
「これ以上は私には調べることが出来ない。」
ものすごく残念な気持ちでいっぱいだった。
そして月日は容赦無く流れていくけれども、あの日以来母が自宅前
で待っている事はない。
きっとまた、いつか逢いに来てくれると信じて、今日も私はあの幼
稚園の角をまがって帰宅する。
過去の事をひきずる歳では無くなった私が今度こそ母を家に入れて
あげるために。
- END -