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個人ホームページが載せた「真実」 マスコミの情報伝達の独占が崩れた瞬間 [Wednesday, February 18, 1998 松浦 晋=日経MAC]
内之浦昭さん。針原地区の復興状況を示す地図の前で 「ふざけるなっ」と亀井静香建設大臣(当時)がどなった。居並ぶ記者達の後ろで聞いていた内之浦昭さんはびっくりして,ことの成り行きを見守った。1997年7月10日夕刻,それは内之浦さんを巻き込む小さなネット上の波紋の発端だった。
鹿児島県出水(いずみ)市は,鹿児島市の北に広がる平野の町だ。冬には多数の鶴が飛来することで有名である。 出水市職員の内之浦昭さんがホームページを開設したのは1996年の5月だった。ホームページの名前は「ふるさと出水(http://www2a.biglobe.ne.jp/~uchi_a/)」。その名の通り,鶴や今も残る薩摩藩時代の武家屋敷群など,出水の風物を紹介するホームページだった。 「HTMLで文書を体系化できるかと思い,その練習のためにホームページを作る気になったんです。それで,どうせならふるさとのことをホームページにして公開しようと考えました」。内之浦さんは出水で生まれ育ち,大学こそ東京に出たものの,故郷の市役所に就職して,また出水に帰ってきていた。市役所の仕事の中で地元の文化財にかかわるうちに,「これらをインターネットで紹介しよう」という気になったのだった。アマチュア無線の免許を持ち,大学は通信工学科出身で,草創期からパソコン通信にかかわってきた内之浦さんにとって,ホームページ製作は容易な作業だった。 ささやかなホームページだったが,それなりに気合いは入っていた。掲示板を設けて出水関係者を募ると,海外からも反応があり,ついには「インターネット出水会」という会合まで出来た。出水出身者に限らず,出水の学校に通っていた人,出水に旅行で来たことのある人,少しでも出水に関係のある人が集ろうという主旨の会は,オフライン・ミーティングを開くまでになった。 アクセス数は「一日30アクセスぐらい」と言う。個人のささやかなページとしてはまあまあだろう。そのままならば,小規模ながら楽しいホームページとして続いていくはずだった。 土石流発生 1997年7月,鹿児島県北部は7日から強い雨が降り続いていた。10日早朝の午前5時半頃,内之浦さんの家の電話が鳴った。市役所からだった。「針原で土石流が出た。緊急通信確保のためにアマチュア無線装備を持ってきて欲しい」。準備をしながらテレビをつけると,すでに画面には針原地区の崩れた山肌が映し出されていた。 10日午前1時頃,出水市境町・針原地区の裏山が崩れ,地区を流れる小川の針原川に沿って大規模な土石流が発生した。住宅など17棟が全壊,住民21人が命を落とした。これまでにない大災害だった。 最初,市役所に詰めて連絡係を務めていた内之浦さんは,交代で害対策現地本部が置かれた針原公民館に移動した。 土石流の猛威は実際に見た者でないと理解できないという。大量の巨大な岩石が流れてきており,内之浦さんの幼なじみの家も分厚い泥と岩石の下に没していた。ミカン畑は分厚く泥をかぶっていた。雨は午後には上がっており,現地では必死の救出活動が続いていたが,山の状態はもう一度崩壊があるかどうかも知れない状態だった。やがて出水市長,鹿児島県知事,そして亀井建設大臣などが到着し,内之浦さんは普通ならば同席するはずがない「偉いさん」達と席を並べることになった。 事件は夕刻午後5時半頃からの記者会見で起きた。市長が二次災害の危険があるために午後6時でその日の救出作業を中断すると発表すると,詰めかけた記者達の間から「まだ明るいのに作業は続けられないのか」という声が上がった。市長が返答に苦慮していると,「専門家に説明させよう」と亀井大臣が割って入り,そこで地質の専門家による説明が入った。「山肌に地割れが発生しており新たな災害の発生の可能性がある」という説明に記者達は黙った。 記者会見には,地元の人々も顔を出していた。今度はそちらから声が上がった。妻と孫を土石流に奪われた老人だったと,内之浦さんは記憶している。「まだ明るいんだ。作業を続けてくれ」 「今,専門家から説明があったとおりだ」と大臣が答える。 「じゃあ,あんたは見つかるまで探してくれるのか」激した声が走った。 次の瞬間,亀井大臣がどなった。「ふざけるなっ」 真実はどこに 次の日,新聞には亀井建設大臣の「暴言」が記事になっていた。そこでは大臣は「二次災害で被害が出たら,あんたらが責任を取るのか。ふざけるな」とどなったことになっていた。 「その記事を読んだときには本当に,『亀井ってのはなんて野郎だ』と心底思いましたね。亀井大臣を憎みました」と内之浦さんは言う。「でも,次に『どうもこれは自分の記憶と違うぞ』と思いました。大臣は『二次災害で被害が出たら,あんたらが責任を取るのか。ふざけるな』とは言っていないんです。そう思ったら今度は,この記事に腹が立ったんです」 以下はその場に居合わせた内之浦さんの記憶による「事実」である。 「じゃあ,あんたは見つかるまでまで探してくれるのか」と言う発言に対して,亀井大臣は「ふざけるなっ」とどなった。 大臣は激した様子で「みんな一生懸命救出活動をやったじゃないか。しかし専門家があぶないと言ったからやめるんであって,明日も探すんだ」というような主旨の発言をした。そのうちに大臣の発言の調子も落ちついてきて,最後に大臣は「言葉が過ぎたところはあやまります」と頭を下げた。それまで張りつめてきたその場の雰囲気がふっとゆるんだ。 その場で,内之浦さんは「なんて大臣だ」と思ったという。「大臣に向かって見つかるまでまで探してくれ,というのは無理ないですけど感情的発言ですよね。大臣がいたから救出作業が進むというものではないですから。しかし,肉親が埋まっている人に対して『ふざけるなっ』はないだろう,と思いました」と,同時にその瞬間,内之浦さんは「大臣が『救出作業を続けて事故が起きたらお前が責任をとれるのか』といような発言をしたらまずいぞ」とも考えたという。その場で責任追及が始まったら,「そもそも針原地区の土石流対策が足りなかったのは誰のせいか」などということになってしまい,混乱が大きくなる。だから大臣がそのような発言をしなかったことで,ほっとしたのだった。 ところが次の日の新聞で,亀井大臣は被災者の肉親に対して「二次災害で被害が出たら,あんたらが責任を取るのか。ふざけるな」とどなったことになっていた。内之浦さんの周囲でも新聞を読んで「亀井ってのはひどい奴だ」と話す人が多かった。「自分はその場にいたけれども少し違ったんだよ」と説明するうちに,内之浦さんは,このことをホームページに掲載しようと考えるようになった。 「あの場にはたくさんの記者がいたんです。でも誰も訂正しようと言う記事を書こうともしない。それどころか著名なコラムで『亀井大臣はあんまりだ。時間をかけて話せば被災者の方も分かってくれたはずだ』などと書かれたりもしているわけです。亀井大臣を批判するのは自由です。でも事実に基づかないと,今度は亀井大臣がマスコミによってスケープゴートにされてしまうことになります」 内之浦さんは「報道の嘘?(http://www2a.biglobe.ne.jp/~uchi_a/saigai/halihara_mc.html)」と題して,自分が見たことをホームページに掲載した。 反応はささやかなものだった。いくつかのホームページに紹介されたこともあって,内之浦さんのホームページのアクセスは伸びたが,「2日で320アクセス」という程度だった。数通の電子メールが届いた。「マスコミはひどい」とするものが数通,そして「亀井を援護するのか」とする非難のメール1通だった。「もっと反応があるかな,恐いなあと思いつつ掲載したんですが,意外なほど反応が少なかったです」 やがて災害の衝撃も薄れ,内之浦さんのホームページのアクセス数もいつも通りに戻った。 今,内之浦さんは昨年の夏を振り返り,「個人のメディアとしてはこんなものかなあ」と思っている。 記者が「マスコミは,えてして『事実』ではなく,大衆が『見たいと望んだこと』を書くことがありますから」と言うと,内之浦さんは,ちょっとため息をついた。「『この程度の国民に,この程度の政治家』って言うじゃないですか,『この程度の国民に,この程度のマスコミ』かなって。えらそうですけど」 個人ページの効用と限界,マスコミの限界 内之浦さんが体験したこの出来事には2つの側面が含まれている。一つはインターネットで個人が情報発信することの可能性と限界とだ。内之浦さんがホームページでこのことを書かなければ,亀井大臣の発言はマスコミが示したイメージのままに伝播し,世間が異論を知ることはなかったろう。 しかしまた,ホームページへのアクセス数が示すように,内之浦さんが発信した情報は多くの人に届くまでには至らなかった。日本のインターネット・ユーザーのほとんどは,「出水の内之浦昭」がこのような情報を発信しているという事を知らずに,昨年の夏を過ごしたのである。確かにそこには,「たった一人の個人による情報発信の限界」が見てとれる。 しかし,このことは,明らかに「マスコミの権力」というものが,マスコミの独占物ではなくなりつつあることをも示している。マスコミは,情報の伝達を独占することで権力として機能するようになった。その一方で,マスコミは営利企業により運営されている。ここで顧客の要求に応えるということは,えてして「大衆の望む幻想に『事実である』というお墨付きを付けて伝達する」ことになりがちだ。 このケースの場合,亀井静香氏は以前から「暴言政治家」として悪名を馳せていた。だからマスコミの側に明らかに「亀井がまたやった」という予断があった。さらに踏み込めば「亀井がまたやったと書けばウケるだろう」という予断すらあったかも知れない。それらが,現場に詰めていた記者達の耳目を曇らせた可能性が高い。 「赤信号,みんなで渡れば恐くない」と言うが,マスコミだけが報道をしているのならそれで済んだ。しかしここで内之浦さんという第三者が,ホームページを通じて自分の見た「事実」を全世界に向かって公表した。それを見た人は少なかった。が,確かにその瞬間,マスコミによる情報伝達の独占に穴が空いたのである。 かすかに未来の可能性は見えた。おそらく次は,マスコミの側が破れた独占に対して誠実な態度を見せる番なのだろう。 (98.2.18 鹿児島県出水市にて=松浦 晋)
ふるさと出水
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