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会社の50%ってのは
ケッコウなもんだと思った

[Monday, January 19, 1998 シリコンバレー・オフィス発、山田 剛良=日経MAC]

I think 50% of company is big deal.

●その後,どのような経緯で米StarNine Technologies社に参加することに?

Chuck 93年の8月に米MacWEEK誌の故Robert Hess氏*5がMacHTTPのことを記事に取り上げてくれた。これでmachttp_talkの参加者がぐんと増えた。さらに翌94年の1月から2月にかけて彼は6週間もMacHTTPの記事をカバー・ストーリーに書き続けてくれた。おかげでMacHTTPの存在が知れ渡った。彼にはとても感謝しているよ。結局一度も会えなかったんだけどね。

95年1月のMACWORLD Expoの後,Appleから申し出があった。「あなたのソフトを買いたい,Appleに来てMacHTTPの開発を続けてくれないか? 」とね。Appleの申し出の意図は明らかだった。彼らはようやくインターネットの重要性に気づいたんだ。彼らはマックにバンドルするWebサーバー・ソフトを求めていた。いちから開発している時間はなかったんだ。Appleとはその年の3月まで話し合った。ネックは僕がHoustonを離れる必要があること。もう1つ,Appleのような大会社でだれかの部下として働くのは気が進まなかった。

そんな時,StarNine Technologies社からオファーがあった。当時のStarNineはまだ小さな会社で,会社を飛躍させる製品を求めていた。そのために雇われたばかりのマーケティング・ディレクターDavid Thompson氏が僕に電話をかけてきた。僕らは1時間ほど電話で話して,1週間後にDavidからFedEx便が送られてきた。中には会社を説明した山のような資料と契約書が入っていた。

契約書には「会社の(全株式の)半分を差し上げます」と書かれていた。「会社の半分だって?」と僕は思った。実は当時,ほかにもMacHTTPのライセンスを求めるオファーはあったんだ。たいてい条件は「ロイヤリティーは売り上げの50%」だった。売り上げの50%と会社の50%。僕は「会社の50%の方が得な気がするな」と思った。こうして僕はStarNineの一員になることを決めた。正式に参加したのは95年の4月だった。

StarNineは僕にCaliforniaへ来てほしいとは言わなかった。それまでと同様に僕とLouisはここHoustonでWebSTARの開発を続ける。さらにStarNineの製品と将来の計画に関してアドバイスをするのが僕の仕事。実際,WebSTARはHoustonでおおむね開発され,BerkeleyのStarNineで品質管理面のチェックを受け,ドキュメントを作る*6。さらにSeattle在住のプロダクト・マネジャーEric Zelenka氏がパッケージ・デザインや販売計画を決めて全世界に出荷されているんだ。


*5 Robert Hess氏は残念ながら,96年の1月に亡くなっている。彼は,93〜95年にかけてMacWEEKのトップライターであっただけでなく,シェアウエア作家でもあった。代表作としては,Personal Sharingの制御を簡単に行えるアプリケーション「Shaman」(現在は入手できない)などがある。

*6 97年の8月からは新たに2人のエンジニアがBerkeleyでChuckの仕事をサポートしている。彼らはChuckのコンセプトに基づき,実際にコードを書く作業を手伝っている。WebSTAR 2.1まではChuckとLouisですべてのコードを書いていた。


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この記事は、日経MAC98年2月号(98年1月18日発行)掲載記事の抄録です。

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This page was last updated on Wed, Apr 15, 1998 at 11:22:45 PM.
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